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JR山陰線、鎧~餘部間に架かる余部鉄橋が開通しました。
なぜ橋の話?・・・以前も書きましたが私の前職は橋梁メーカーで
品質管理に携わっていましたのでこの特殊な橋には思い入れも
あります。
この余部鉄橋は日本有数の特殊な橋梁で明治42年より着工、同45年
に完成、全長310.59m、高さは41.45m、当時の金額で331.535円の
費用をかけて建設されました。
当初はコンクリート橋案もありましたが最終的にアメリカ人技師ウルフェル
の意見を取り入れ大変珍しい構造のトレッスル橋とすることになった。
現場周辺は山岳地帯で、線路は山間部を通して敷設されましたが余部
集落付近だけは、地形が特殊で集落を跨ぐ形で線路を繋がねばならず
土を盛り上げ大築堤を作る案もあったが、最終的には架橋することに
33万円を超える巨額の建設費と、延べ25万人を超える人員を投入
高所の大変危険な工事だったため、作業員には2万円もの保険が掛け
られていたそうです。
しかし昭和61年回送中の列車が日本海側からの強風に煽られ、橋梁
中央部付近より車両の一部を残して7両が転落するという事故が発生した。
転落した車両は橋の真下にあった工場を直撃、従業員だった主婦5名と
乗務中1名の計6名が死亡した他、計6名が重傷を負った。
転落事故後は風速規制を強化したことで運休や遅延がたびたび発生し
地域の通勤・通学や経済活動に大きな影響が出ていた為、防風構造を
備えた新橋に架け替えられました。
旧橋梁の処遇については餘部駅寄りの3本の橋脚・桁を残し更にその部分
を利用して鉄橋展望台「空の駅」として保存活用することや、鉄橋記念施設
道の駅・自由広場・水辺公園・散策路などを整備して余部鉄橋の物語を継承
していくそうです。
余談ですが、余部鉄橋には過去に鉄橋守が詰める見張番所の小屋が豊岡
方トンネル手前側にあり、近年こそ見張り番は常駐していませんでしたが
私の記憶が正しければ、日々点検作業を行う橋守は平成の世になっても
おられたと記憶します。
鉄道マンや橋梁技術者の心意気によって支えられてきた余部鉄橋には
もと橋屋の私としても思い入れがあるんです。
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お世話になっている真言宗のお寺“影現寺(ようげんじ)”さんで行われる
お祭“チンポンカンポン祭り”に行ってきました。
「チンポンカンポン祭り」…とても珍しい名前の祭ですが、その昔、氏子ら
によって神事の間に打ち鳴らしていた太鼓や鉦の音が「チンポンカン」と聞
こえたのが由来だそうです。
影現寺さんの歴史は古く、同じ敷地にある歌人、“柿本人麻呂”を祭った
柿本神社の神宮寺として、空海の高弟真済(真済は人麻呂の従兄弟と言う説
もあります)の創建と伝えられています。
まずは影現寺本堂にて法要が営まれ、続いて柿本神社の拝殿にて神事が行わ
れます。(神仏習合らしいお祭りです)
そして、最後に行われるのが拝殿より御供餅撒きです、この時ばかりは老若
男女入り乱れての餅取り合戦が始まりました。
私がゲットしたのは偶々キャッチしたラムネ菓子、妻と子供は意外に沢山の
御餅をゲットしていました。
また、とてもよい勉強になる法話も頂き、充実した一日を過ごすことが出来
ました。
影現寺本堂
柿本神社
餅撒き
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